diary/Kojima

・靖国神社

木,金,月と10時から 19:30 ごろまでかかるヒアリングに参加しているので, この週末は東京のホテル住まい.土曜は会社で某書の原稿を書いてたのだけど, 今日は天気もいいし,夕方からプロレスリング NOAH の大会が武道舘であるよ うなので,昼過ぎからブラブラと九段下へ行って,当日券を買ってからちょっ と時間があったから最近何かと話題の靖国神社に参ってきました.

元々,民俗学とか神話学とかには興味があって,日本神話の類いの本はいくつ も読んではいるのだけど,それらで靖国神社を扱かったものの記憶が無い なぁ,,と思っていたが,それもあたりまえで,そもそも靖国神社というのは 明治維新前後に志半ばで亡くなった人々を慰霊するために建てられた神社だそ うで,祭られている神もそういう人たち自身なんですね.併設されている遊就 館の資料を見ると,祭られている神は2466532柱,そのうち太平洋戦争当時に 祭られたのが 2133915柱 で最も多く,その他支那事変191250柱,満州事変 17176柱,等々あって,西南戦争6971柱,明治維新7751柱だとか.

菅原道真をはじめ,早良親王や崇徳院など恨みを呑んで死んでいった魂は怨霊 (荒魂:あらたま)として祟りをなすから,神としてあがめたてまつって,和魂 (にぎたま)として鎮まってもらおうというのが日本神道の考え方であり,その 考え方からすると戦争で「国のために」死んだ人々を神として祭る(祭らない と祟る)のはよく分かるところ.特に,横死した偉い人の霊ほど祟りやすいと 考えられていたことからして,先の戦争で A 級戦犯として処刑された人々を 「昭和殉国者」として祭るのは,靖国神社の存在意義としては必然な気がする. その意味で,A 級戦犯の分祀というのは靖国神社の存在意義を否定するものに なりそうだし,非宗教的な慰霊施設というのも日本人の宗教感覚には合わない 気がするなぁ..

まぁ,靖国神社や明治神宮,湊川神社,橿原神宮といった明治時代に建てられ た新しい「神」宮たちを見ると,徳川幕府を倒した明治新政府も,宗教的な感 覚では,日光東照宮に国家安泰を祈った徳川幕府に習った気がしないでもない ので,少し明治時代の国家神道の形を調べてみる必要もあるかな.



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Last-modified: 2021-12-17 (金) 16:35:41